沖縄移住を決めた理由
かえるちゃんは何度も書いていますが、札幌で生まれ育ちました。
初対面の方にはほぼ95%「なんで沖縄に来たの?」って聞かれているんですが、本当に困る質問です。
札幌を離れた時のかえるちゃんは23歳で、仕事に飽きていて、彼氏もいなくて、別に沖縄移住を止めてくれる人もいなかったんです。
特に沖縄に強い関心があったわけではなくて、友人が「沖縄に行こうかな?」と言ったのでそれに食いついただけです。
当然、事前学習もなく、沖縄についての予備知識もなかったので離島にリゾバで行ってしまったんです。
リゾバに行くようになった経緯はこちらの記事にまとめてあります。
37年前当時の札幌那覇間の飛行機代は片道99,000円で、お高いんですよ。
かえるちゃんたちには貯金もなくて、夜職で稼いでお金を貯めるしかなかったんです。
ススキノで貯金大作戦
その前の半年間くらいは友人の紹介で週に3回くらい、仕事帰りにススキノのスナック「プログレス」でアルバイトをしていました。
そのお店はクラブ上がりの「ママの店」で、アルバイトの女の子たちはママよりも目立っちゃいけなくて、黙って水割りを作ったり、カラオケのレーザーディスクをセットしたりすればいいだけの超楽チンな店でした。
ママはバイトの女の子たちにはタクシー代を出す気がなくて、最終の地下鉄の時間にはどんなにお店が混んでいてもサクっとかえしてくれました。
プログレスでのバイトを増やしてもよかったんですが、ママは気難しい人だったので、そこまで居心地がいいわけではなくて、求人誌を見ながらいくつか面接を受けてみました。
そこで意外とどこの店で働いても行儀や服装にきびしいんだなと学習しました。
プログレスのママは「クラブの女は綿のものなんか着ないのよ」と女の子たちに苦言を言っていましたが、女の子たちは誰もママの言うことを聞かなかったので、業を煮やしたママが白い光沢素材のブラウスと紺のスカートを制服として用意しました。
プログレスのママは身銭を切って制服を準備するなど、歩み寄りがありましたが、面接に行ったお店は「お客様に愛されるように」なんて面接時に言われるような厳しさがあって、どこに行くと決められずにいましたが、「ジーンズ出勤OK」と言う求人広告を見つけて、そのお店に行ってみたんです。
行ってみたお店はカウンターだけの小さなお店で、今で言うガールズバーのような雰囲気でした。
時給は1,000円で、当時のススキノのスナックの相場が1,200円〜1,500円だったので、時給は安いんですが雰囲気がカジュアルで、厳しそうなママがいないのが気に入ってバイトを始めました。
バイトを始めてみると、店の女の子はかえるちゃんが一番年長で、18歳からの女の子が10人くらいいて、オーナーがいるんですけれどしょっちゅうフィリピンに女買いに行ってて、お店は女の子たちの自治に丸投げ状態でした。
月に2回くらいオーナーが店に顔を出すんですが、小太りのおじさんで「サンちゃん」と名乗っていました。
ある時フィリピンから帰って来たサンちゃんはカウンターにたくさんんの服を積み上げて、「お前ら明日からこれを着て仕事しろ」って言いました。
よく見ると水兵さんのユニフォームでした。
ご丁寧に帽子まで付いていました。
「えー?これを着るの?」と 不満はあったんですが、仕方がないので着ていました。
ススキノのガールズバーのお客さん
もうお店の名前も忘れちゃったので、サンちゃんのお店はガールズバーと呼びますが、結構繁盛していたのでお客さんはひっきりなしでした。
プログレスみたいに一見さんお断りで、会社の交際費の枠があるお客さんとママが契約していて、会社に集金に行くスタイルのお店ではなくて、現金会計でアルコールはショット売りだったような思い出があります。
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価格:3122円 |
バーボンしか置いていないお店で、たまにお客さんがワイルドターキーの高いものを持ち込んで、女の子も含めて飲んだりしたこともありました。
お客さんの層は若めで、それでも学生のような子たちが集まるわけではなくて、30代くらいのサラリーマンが女の子と会話しながら飲むスタイルでした。
女の子はカウンターの中に立って接客をするので、ボディタッチとかもなく、女の子は時給だけで働いているのでノルマもなくてみんな仲良く働いていました。
お客さんの中にイベント会社の社長さんがいらして、時々芸能人を連れて来ていました。
若くてかわいい目のガールズがキャッキャしているお店なので、お客さんを連れてくる方が多くいました。
(かわいい目のガールズが揃っていたんですが、ガールズはノーメイクで来ている子も結構いて、そう言うところもウケたのかもです)
カエルちゃんがお休みの時にイベント会社の社長さんが連れて来た芸能人はギバちゃんとか歌手の徳永とか有名な人がいたみたいなんですが、かえるちゃんが接客したのはブルースバンドの憂歌団でした。
「憂歌団って、知らんし」と思いながらお相手していました。
次は風俗に連れて行くと言うお約束があったみたいで、メンバーはわりと次のお楽しみのことばかり考えているようでした。
ボーカルの内田勘太郎氏がかえるちゃんに「お前、沖縄に行くんだって?」と話を振って来ました。
「そうなんです、沖縄に行くためにお金を貯めています」とお答えすると真顔になって、「お前、沖縄に行ったらな、ほ⚪︎⚪︎⚪︎って言うんだぞ。人に会ったら必ずそうご挨拶しろよ。ハワイに行ったらアロハって言うだろ、あんな感じだよ」と言ったんです。
このワードは伏せ字にしましたが、英語の放送禁止用語の4文字ワードと同様の単語です。
普通に女性が口にするワードではないんですが、かえるちゃんは内田氏の発言を疑うこともなく覚えて、友人にまで教えました。
沖縄到着
それから数ヶ月後、かえるちゃんと友人は那覇空港に降り立ちました。
到着は日が暮れた時間で、とりあえず安い泊まるところを探そうとガイドブックを見ていたら、白タクのおじさんが声をかけて来ました。
かえるちゃんはもちろん敬意を込めて内田氏が教えてくれたご挨拶をしました。
白タクのおじさんはドン引き反応でした。
他にもうひとり内田式ご挨拶をしたらやっぱりドン引き反応でした。
そこでようやくかえるちゃんたちは「なんかおかしいよね?」って気付いて、内田式ご挨拶を止めたので被害はそれ以上広がらなかったですが、内田勘太郎氏はかなりヤバいやつです。
言語道断なんですが、沖縄方言のご挨拶定番の「めんそーれ」を使う方はいないですね。
「ハイサイ」「ハイタイ」は時々言われますが「なんくるないさー」も日常語ではありません。
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価格:3410円 |
まとめ
今回は無知ゆえに憂歌団の内田勘太郎氏にまんまと騙された話を書きました。
今にして考えると、まさか内田式のご挨拶を本当にやっちゃうとか、ご本人も思っていなかったんじゃないかなと思います。
沖縄移住して37年経ったかえるちゃんは、もっとディープな方言も覚えたんですけれど、それと同時にTPOと言葉のニュアンスも覚えたので「変なアクセントの方言をあびあびーするナイチャア」ってポジションに落ち着いてケロケロ楽しく暮らしています。
内田勘太郎氏は北谷におうちを持っているようで、時々ライブの告知なんかは目にしたんですけれど、行ったことはないです。
けどカラオケに行ったら必ず憂歌団バージョンの「石狩挽歌」を歌います。
北海道の歌と言う枠で盛り上がります。
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