かえるちゃんの生い立ち
こんにちは。
はじめまして。
このページでは「沖縄グランマ」の管理人、かえるちゃんの自己紹介をします。
少し長めに書きますからお時間のある方はどうぞ最後までご覧ください。
かえるちゃんおは1965年に札幌で生まれた女性です。
サッポロビール工場の煙突を見て育ちました。
札幌では高校を卒業後、彫金のアトリエに勤務してなんでもやりました。
デザインから販売までトータルで働きました。
18歳の時に見た沖縄のコザ市(今の沖縄市)も舞台になっている原一男監督のドキュメンタリー映画「極私的エロス・恋歌1974」を見て強い印象を受けました。
22歳の時に仕事にも飽きて、彼氏もいなかったので何も止める要因がなく、18歳の時に見た映画のコザの街の印象がよみがえり、沖縄移住を決めました。
沖縄移住してから
当時の札幌から沖縄への航空券は片道約10万円と高価だったので、旅費を貯めるために半年間ほど集中的にアルバイトをして、女性の友人と一緒に沖縄に来ました。
私たちはお金がなかったので即、住み込みバイト探しでした。
八重山のリゾートホテルで3ヶ月契約の清掃バイトをしてから、コザに来ました。
コザで仕事を探すみなかなか見つからず、腰掛けのつもりのバイト先で夫と知り合い、子どもができて結婚しました。
夫は働かんぬー(働かない人)なので、かえるちゃんは職業訓練校で簿記3級の試験に合格して、パソコンとワープロの授業も受けてから会社勤めをしました。
その後、30代の終わりまではプラザハウスでハンドメイド雑貨のお店を運営していました。
お店は繁盛していましたが、病気で閉めました。
40代以降は病気続き
お店を閉めたのは単純な鉄欠乏性貧血だったんですが、在宅ワークに切り替えたら途端に糖尿病になりました。
血糖値コントロールがなかなかうまく行かず、5回腎盂腎炎で入院しています。
その頃から血圧が低くなり、特に低い時は上が60台になることがあり、いつもめまいや立ちくらみが続き、やがて自宅で転倒して腰を圧迫骨折しました。
圧迫骨折以来、腰痛がひどくて自宅内では歩けますが、外に出る時は車いすを使っています。
このブログでお伝えしたいこと
病気続きのかえるちゃんなんですが、その合間で孫がふたり生まれました。
孫の成長が今のかえるちゃんの心の支えです。
このブログでは、沖縄の情報や、定着率が低いと言われる沖縄移住を成功させるためのノウハウをお伝えしたいなと思っています。
観光旅行だけでは伝わらない沖縄の魅力をお伝えできるようにがんばりたいと思うので、どうぞよろしくお願いします。